宝塚の枠
私が宝塚を好きだった理由の一つに「何でもやれる」というのがありました。
過去形なのは今現在自分が宝塚ファンなのかどうか自信がないからです。
「ドンブラコ(桃太郎)」から始まった宝塚、105年の間に様々な作品を上演してきました。「ベルサイユのばら」以前は殆ど知らないし、ブランクもあるのでハッキリした事例は挙げられませんが、植田作品・柴田作品・正塚作品・小池作品…これだけでも全然色が違う。今活躍している演出家の作品もそれぞれの色がある。
前に「宝塚でやれない作品はポルノと巨大ロボット物だけだ」と言っていたことがあります。訂正します。たぶん「巨大ロボット物」はやれる。「ポルノ」以外は何でもやれるのが宝塚です。
生徒さんに対して「宝塚の枠を超えている」という言い方は好きではありません。宝塚の枠はそんなに小さくはないです。
それに「上手過ぎる」から宝塚じゃない…なんて宝塚のファンの言うべき言葉でしょうか? ファン自ら枠を縮めているだけではないですか?
そして褒めているつもりなのか「だから早く宝塚を辞めろ」と言っているのか分からないです。宝塚が好きで宝塚の舞台に立っていたい人に「あなた宝塚じゃないよ」って酷くないですか?
昔からね、そういうことを言う人はいました。そして言われがちな生徒さんもいました。でも私はそんな生徒さんが誇らしかったですよ。宝塚にはこんなに上手い人もいるという事実が素直に嬉しかった。
毎年すごい競争倍率をクリアして入学するとはいえ、400人前後在籍する劇団員全員が上手いなんてことはない。何故かない。倍率が高いと言っても受験する人がある程度限られている以上仕方のないことなのでしょう。
東大京大だって学生全員が天才なわけではない。ガリ勉にガリ勉を重ねてやっとこさ合格する人と大して勉強しなくてもヒョイっと合格する人では頭の出来が全く違う。そんなものです。
嘘か本当か知りませんが、毎年テーマがあるのだそうです。「今年は歌の上手い子を合格させよう」「今年はダンス」「今年はとにかく容姿」なんて風に。
以前書いた合格した知人は67期生、89期よりずっと前に「美人の期」と言われた期です。黒木瞳・涼風真世・毬藻えり・真矢みき…本当に数人を除いて皆んな綺麗でした。知人も初めて会った時「うわー美人!」とビックリしたくらい綺麗な人。歌もダンスも全然ダメでしたから本当に容姿で合格したんだな〜とちょっと感心すらしました。
でも文化祭、初舞台、組配属を経て「あ、この人舞台では美しさが失われてしまうな」と思いました。偶にいますよ、素顔はすごい美人なのに舞台映えが全くしない人。昔、高汐巴さんの一期上の方で優美あい(確かこんな芸名)さんという男役さんがいました。めちゃくちゃ綺麗、超美人なのです。なのに舞台では何処にいるのかさえ分からない。
舞台映えしない美人って、もうどうしたらいいのか分かりません。知人は結局宝塚を退団し、関西でしばらく芸能活動をして結婚しました。まあ舞台映え以前に予科の頃から「授業についていけない!」と泣き言を言ってましたから、そもそも芸事に向いてなかったんでしょうけどね。
逆に素顔はそんなでもないけど舞台ではとても輝く人もいます。例は挙げませんけど。
それは単に「資質」なのであって、人格も思想も、努力も根性も関係ありません。足が速いとかジャンプ力があるとかと同じ。
中でも飛び抜けて舞台映えして、歌えたり踊れたり芝居が出来る人を「宝塚を超えている」というのは、何か違う。本人は超えようなんて思って演ってないし、宝塚が大好きなのに外部に出ろと言われても余計なお世話でしかない。
そもそも宝塚を観に来て「宝塚を超えている」という感想を抱くこと自体、私には理解出来ない。私は「宝塚のレベルが上がっている」と思います、そんな時。だって今目の前でやっているのは宝塚じゃないですか。宝塚以外の何だというのでしょう。
あれ?
もしかして、私すっごい宝塚ファン?
ファンなのかなぁ?
いやいやいやいやいや……。
どう思われます?
不二子