終身雇用制スター
轟悠さんが理事になったと聞いたのは、とっくに宝塚ファンを辞めて久しく経ってからでした。
私がファンになった頃にはまだ天津乙女さんも春日野八千代さんもご存命でしたので、「トップスターが理事になる」事の意味は充分に理解していました。
そっかぁ、イシゾーやっぱり宝塚に骨を埋めるんだなぁ……。
なんとなくそんな気はしていました。彼女に関する噂の数々はもちろん知ってます。知り過ぎて真偽を詮索する気にもなれないほど。他言したくない事実も多い。でも彼女には最適で最良な判断だと思っていました。
まあ正直な話、私にはもう関係ない事と記憶の彼方へと放り投げて、スッカリ忘れて十数年。
ま・さ・か、その存在に苦しめられるとは…夢にも思っていなかった。
既に他記事でも触れているので「この不二子という人は理事の事が嫌いなんだな」と思われているでしょうが、少し違うかなあ。
別に嫌いなわけではないのです。好きでもないですが。何というか…表現が難しい。
初舞台の時から見ていて、ずっとイシゾーと呼び(今でも理事とは呼んでいない)、実は一時期 FC に在籍していた事すらあり…嫌いでは本当になかった。
でもある時からどうにも不快な気分になり始めて、その存在は私には受け入れ難いものへと変化しました。
それを語るにはまだ時が早過ぎる。後10年は必要かな。
生徒理事という存在は私がファンになった頃はそんなに珍しいものではなかったのです。前述の通り天津乙女さんも春日野八千代さんもご存命でしたし、他にも神代錦さんや梓真弓さんも生徒理事だったかな? もちろん松本悠里さんも。
天津乙女さんの大劇場主演作「朱雀門の鬼」、春日野八千代さんのだと和物ショーの中の一部として「白蓮記」。この2作品が生徒理事の方が主演する芝居で観た事のあるものでした。「凱旋門」を観るまでは。
「朱雀門」は主演というよりタイトルロールというべきかな? 安奈淳さんを最後に諫める為に登場するだけで殆ど出番はなし。当然恋愛絡みの話も全くなし。
「白蓮記」はガッツリ恋愛物ですが、時間が短いので他の生徒の邪魔には、そんなになっていなかった……たぶん。確かヒロインは上原まりさんだったような気がします。間違っていたらごめんなさい。🙏
天津乙女さんはそれから程なくして亡くなり、春日野八千代さんは…あら、いつだったかしら? もしかして私がファンを止めた後だったかしら? 長生きされましたよね。
昔のおとめの専科のページは厚かったですよ。今は定期刊行物は全然買ってないのですが、とりあえずキャトルで手に取った「宝塚おとめ」に驚いたのが、専科の少なさ。
今現在の専科生で私がファン時代に知っていた方以外って、三名しかいないんですよ。
私が心配する義理は全くないのだけど、これはかなり危機的状況です。
何の為にいるのだろう? って人ならともかく、専科に人がいないというのは劇団の幼稚化が進んでいるとしか思えません。今いる方々が退団されたらこの先どうするつもりなのでしょう。
一樹千尋さんや英真なおきさんも近い将来、舞台に立てなくなる日が来ます。簡単に代わりが務まるようなレベルではないですよね、この人達は。
専科に残ってほしかった!。゚(゚´Д`゚)゚。って言われる生徒さんが次々に退団していく。洒落にならない事態だと私は思います。
結婚で退団される方はしかたがない。問題は宝塚にいられるものならいたいのに退団せざるを得ない方々。
お金持ちのお嬢さんとして入団していても、ある程度の年齢になれば親御さんも亡くなったりして金銭的に不自由になる向きもありましょう。タカラジェンヌで在り続けるのは難しくなってきてもおかしくありません。
劇団は彼女達にちゃんと報いているのでしょうか? 報いているのなら、こんなに専科生が少なくなる筈はありません。
私が劇団のトップなら、専科としてずっと在団してほしい生徒には組子とは給与体系を違えます。まず将来専科入りを期待される生徒には、今の時点での活躍に対して特別賞与を与えます。そして専科に異動したら劇団からの給与だけで充分に生活ができ貯蓄もできるレベルに引き上げます。
本人が希望すれば外部の仕事のマネージメントも行います。もちろん宝塚歌劇団の仕事優先ですが。
極端に言えば、結婚・出産以外なら生徒の自由を認めます。劇団にマイナスになる行為は当然除外ですが、「これなら宝塚を辞めなくてもいいかな?」と思わせるられる事はなるべく採用すべし。
ただし、誰でも専科に行けるわけではない。人気はなくてもいいが、実力は必須。役に立つ人だけが恩恵を受けられる。文字通りのプロフェッショナル集団化を目指して、専科生育成に力を注ぐべきです。
スターは後からいくらでも入ってきます。トップ・スターですらも。しかし専科の育成はトップを育てるより時間がかかります。急な替えは効かないのです。
宝塚ファンではないと自認する私ですらこう思うのですから、ファンの人達はもっと深刻なのでは?
生徒理事はまた別の存在です。今は轟悠さんと松本悠里さんのお二人のみだそうで。松本悠里さんは日舞のお家元も兼ねていて、文字通りのお師匠さん。
では轟悠さんの存在意義とは?
春日野八千代さんがお幾つまで大劇場で主演なさっていたのか寡聞にも存じ上げませんが、私が観た春日野さんは扇を持つ手も震え、いつ倒れるかと客席でハラハラしたものです。
私も日舞を習っていたせいか観るのは大好きで、春日野さんの踊りも退屈した事はありませんが、台詞は聴き取れた為しがありませんでした。
「凱旋門」の轟さんにも、少々同じ現象が見られました。とにかく声が出ていない。
舞台人としてどうなんだというレベルで、歌も台詞も聴き取れない。
彼女の声がもともと法螺貝と呼ばれるほどボェ〜とした響きなのは重々承知。若い頃はそれも男役として魅力の一つではありました。
見た目に反して女性的な人だとも思います。下級生の頃は意外と可愛かったのです。でも実年齢を重ねた現在、私は轟悠さんに「おばさん」を見てしまいました。中身の女性らしさが滲み出て、おじさんではなくおばさんになってしまっている。
私が轟さん演じるラヴィックに言い知れぬ気味の悪さを感じたのは、そのせいではないかと推察します。
初演のラヴィックはきっと素敵だったのでしょう。もちろん今回のラヴィックに魅力を感じた方の感性に異を唱えるつもりはありません。感想は観た人の数だけ有るはずですから。
しかし私は今回のラヴィックに、失礼ながら気持ち悪さを感じた…それも事実。月影瞳さんと真彩希帆さんとの年齢の違いもあるかもしれません。月影さんは普通にコンビとしてお似合いの相手だったでしょうが、真彩希帆さんはもう親子ほどの差があります。
ラヴィックとジョアンの役の年齢はもしかしたらそれくらい離れているのかもしれません。作中でそれを匂わせる台詞はなかったように記憶していますが。
本当にそんな年齢差があるとしても、歳降りた男と若い女の悲劇的な恋を演じきれていたのなら、観客として私はそこまで嫌な感じを受けなかったはずです。
はっきり申しますが、轟悠さんはもともと「上手い役者」ではありません。たまたま男性的な容姿(実際は女性としても相当な美人)と男っぽい声質を持って生まれ、男役を演るのに向いていたというだけで、歌唱力も演技力も(ダンスも)特に優れているわけではない。
ただ男役を長年やってきただけのキャリアはもちろんあります。経験値は伊達ではないです。でも、それだけです。
この「凱旋門」が轟さんの最後の大劇場主演なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
いずれにせよ、もう限界だと私は思います。
私が望海風斗さんのファンだから、殊更轟さんに不満を抱いていると思われるでしょうか。全くないと言い切る自信はないです。無意識に轟さんに厳しくなっている可能性は捨て切れません。
でも、私にとって轟悠というタカラジェンヌは望海さんよりもずっとずっと昔から馴染みのある、初舞台から長く観てきた懐かしい人です。だからこそ老いと衰えをひしひしと感じる現状を嘆きつつ、糾弾しないではいられない。
私はね、そんなイシゾーを観たくはなかったよ。
キング牧師やルキーニを演じて強烈な光を放っていた、憎たらしいほどカッコイイ轟悠のまま記憶に残しておきたかった。
春日野八千代さんがいつどのように主演からスライドしていかれたのか知らないけれど、それに倣って正しく「春日野八千代の後継者」となってください。
生涯を宝塚に捧げるのならば、死ぬまで美しい夢だけを見せる覚悟を。
不二子