悲鳴の代償
「クリスティーヌ、自分から素顔を見たいと言っておきながら悲鳴をあげて逃げるの酷い」
よく聞く感想の一つです。
確かに表面的に見ればそうなのかもしれません。
私は「ファントム」を観たのは今回が初めてですが、初観劇の時にそこまでは感じませんでした。もしかしたら私がもうすっかり若くはないからかもしれません。
まずクリスティーヌはたぶん10代ですよね。17〜18歳くらいかな? 若い子にありがちな「愛があれば大丈夫!」な夢見がちな年頃ですよね。
愛が有ったってそんなの簡単じゃないです。いや愛があるからこそ無理なことだって世の中にはあるのです。
ベラドーヴァの場合は愛の問題ではなく、彼女はエリックを産んだ時点で既に狂気の世界に居た人。母親だからとか愛があるからとかではない。キャリエールもそれに気づいていたからショックを受けたわけで。
話の趣旨からズレますが、私は数年前から母の介護をしています。アルツハイマーを平均より若く発症してしまいました。初めてその兆候に気づいた時は背筋が凍るようでした。心底怖かったです。そして目の前で母親が壊れていく様を見るのは辛いです。母を愛しているから尚更です。
愛しているからこそ受け入れ難いこともあるのです。愛は全ての隔たりを、超えられないこともあるのです。
また違う話もしましょう。昔モノクロ映画で「ハエ男の恐怖」というSFのようなホラーのような作品がありました。テレビで観たのですが。後に「ザ・フライ」というタイトルでリメイクもされています。
物質電送装置を開発した主人公は自分自身を実験台にした際、紛れ込んだ一匹のハエと混ざり合ってしまいます。自分の姿を見せないようにして、妻に自分の顔を持つハエを探させるのですが見つからず。遂に妻は夫が被っている布を剥いでしまうのですが。異形の姿となった夫を見た瞬間、妻は凄まじい悲鳴を上げ気絶します。
妻は夫を心から愛していたのですよ。そして夫は自分の今の姿が異形であることを警告していた。それでも妻は自分の想像を超えた姿に恐怖した。
長く連れ添った夫婦ですらこんな感じです。まあコレも「ファントム」と同じフィクションではありますが。
現実だと映画「エレファント・マン」で有名なジョゼフ・メリック。写真が残されていますが、私は彼が突然目の前に現れて平然としていられる自信はありません。「私は大丈夫!」なんて言う人はむしろ信用出来ない。
ジョセフはずっと見世物小屋で晒し者になっていたけれど、実は知能は高く芸術を愛する人物だったそうです。
人間はそう簡単には異形を受け入れることは出来ません。でも時間をかけて理解を深めていくことは可能です。誰にでもとは思ってませんが。
話を元に戻して、クリスティーヌ。エリックを演じているのが望海さんだし、宝塚的に大して醜くもない…というか望海さんファントムメイクしてても美しいし…けれど、あの仮面を取ったらハエ男だったりエレファント・マンだったりしたら、そりゃキャパシティ超えて悲鳴も上げますわな。つい逃げてしまいますわな。
でもあの短時間でクリスティーヌは自分がエリックを深く傷つけたことに気づき、そして彼のあるがままの姿にキスをするまでに至る。母の愛でもなく狂気の愛でもなく、真に心からの愛でエリックを受け入れる。彼女は若く愚かなところもあるけれど、自分の心の奥底を直視する勇気はあった。
「オペラ座の怪人」のクリスティーヌはラウルと結婚しますが、「ファントム」のクリスティーヌはフィリップとは結ばれてないと思います。
彼女はずっとエリックを想い続けて生きていくような気がします。いつかまた、エリックと再会し今度こそ二人愛し合えることを願って。
フィナーレのデュエット・ダンスが、きっとそんな二人なのですよね。銀橋での抱擁は、あれはエリックとクリスティーヌですよね。
キャリエールがカトリックだと言っていたしクリスティーヌもクリスチャンなのでしょうが、宗教観など関係なくエリックとクリスティーヌは何処の世界で生まれ変わり、再び出会えたのでしょう。
フィナーレはいつも役ではなく芸名の生徒さんとして観ているのですが、今回ばかりは望海さんと真彩さんではなくエリックとクリスティーヌとして観て、「良かったね…」と涙ぐんでしまいました。
エリックは最期に父の愛とクリスティーヌの愛を手に入れて逝ってしまいますが、おそらくクリスティーヌにはあそこからが長く苦しい人生でしょう。
悲鳴一つの代償には大き過ぎやしませんかね?
不二子