バレンシアの熱い花
「花」が「熱い」って、どういうことだってばよ?ーー小学生のガキンチョにはまだ理解が及ばなかった、そんな作品「バレンシアの熱い花」。良いタイトルです。
この作品ってすごく賛否が分かれると思うんですよね。娯楽作品ではあるのですが、主人公のフェルナンドがねえ…ちょっとどころじゃなく「女性の敵」ですよねえ。
今ならまあ分からなくもない。しかし子供には感覚的に「こいつ嫌い」ってなります。
何しろ可愛くいじらしい婚約者がいて、彼女と結婚する気なのに他の女と出来ちゃう。でも婚約者は捨てられないって彼女にも言っちゃう。酒場の女だからって酷くない?
もうね、女性関係に関してはフェルナンドを庇うのはムリムリのムリ。
マルガリータもイサベラも可哀想。
ベルばらで宝塚に興味を持った私ども姉妹は榛名由梨さんが好きでした。実力とか全く観る目のない小学生の頃のこと。見た目だけで好きだったんですよね。整った綺麗なお顔してらっしゃいましたでしょう?
やっと生で舞台が観られる!ーーってところでフェルナンド役ですよ。榛名さんには本当に申し訳ないことながら、役と役者の区別をつけられないガキンチョ三姉妹はいっぺんに榛名さんが嫌いになってしまったのです。誠に申し訳ない。
気持ちはラモンに持っていかれました。ええ、順みつきさんに。
今ならラモンが如何に儲け役であるかが分かります。でも当時の私達にはそんなことには頭が回らない。とにかく「フェルナンドひどい」「ラモン可哀想」で、ラモンに肩入れしてしまいました。
正直言うとイサベラのこともあまり好きではなく、ひたすらにマルガリータが可哀想だと思っていました。まあ貴族と分かっていて、何かわけがあるのも感じでいてフェルナンドを好きになったのはちょっと自業自得(という言葉を知っていたかどうか)という気もしていましたし。
マルガリータの北原千琴さんがあまりにも可愛らしく美しかったのも原因の一つかもしれません。小さな女の子はお姫様に弱いモノです。
それから何十年も経ち、スッカリおばさんになった私達にはフェルナンドを少しは理解出来る気がします。恋は理屈じゃないんですよね。恋しちゃダメな相手と分かっていても惚れてしまうことはある。婚約者がいようが妻がいようが。
でもね〜フェルナンドよ、それは胸に秘めておくべきだったよね?
復讐心で凝り固まった身に、少し安らぎが欲しかったのも分かる。婚約者には争い事に巻き込まれて欲しくない気持ちも分かる。余裕なかったんだよね、イサベラにのめり込むことで少しの間忘れたかったんだよね。
分かるよ〜。
でも、ダメだから!
イサベラの好意につけ込んでるだけだから!
結局フェルナンドって大人になりきれない坊やなのです。復讐が終わった後もイサベラが側にいてくれるなんてカケラでも思うとか只のアホだから!
このアホ坊ンめ!
そんな困った坊やが主人公のこの作品。2回再演されていますが、やっぱりフェルナンドには感情移入は難しいと感じました。
難し過ぎるってこの役!
脇ならまだしも主人公ですよ。宝塚の観客のほとんどは女性なのに主人公が女性の敵って!
「仮面のロマネスク」のヴァルモンは最初から女性の敵として登場するから良いのです。最初からある種の悪として位置付けられているので、むしろそこに観客は「悪の美学」を見出します。
でもフェルナンドは「ヒーロー」として登場しておきながらヒーローに有るまじきーー要は二股しちゃうから嫌われる。
不倫も二股も頭っからダメと断じるほど潔癖でも純情でもないのですが、糾弾される覚悟くらいはしろよって思います。地位も名誉も信頼も全て失う可能性をちゃんと考えろと。
時代が違うので、そのままフェルナンドに当てはめられはしませんが、最後にイサベラを失うのは「そりゃそうだろ」と思います。いつだって女の方が大人なのです。フェルナンドはこの恋の最後を深く考えずに行動したけど、イサベラは最初から最後を決めていた。復讐が終わったらマルガリータの元に帰ると言ったフェルナンドは自分の言葉を忘れたのかしら? やっぱりアホだろ。
せめてイサベラには言わずに心に秘めておけば、こんなに馬鹿にされずに済んだのにねえ。
柴田先生が何を思ってフェルナンドの人物像を作り上げたのかは存じません。男と女では感じる部分も違うのでしょう。敢えて非難されるような人物にしたのかもしれません。理由は分かりませんけど。
いつかフェルナンドを演じても説得力を発揮するスターさんが現れるかもしれません。
そんな夢を、先生は次代に遺していかれたのでしょうか?
ーーんなわけないか。
一番好きなのは初演の泥棒さん・不二子