極上の美・ポーの一族
前に前置きだけで終わった「ポーの一族」について。
私は彩凪さんの話で「美は手段」と申しましたが、この作品に関しては「手段であり目的である」と断言します。
「美しい」を観客の心にダイレクトに届ける為に全てがある。美しさと哀しさ、それが伝わればこの作品は成功です。
当然ながら演者も美しくなければならないし、装置も照明も音楽も何もかもが美を表現する為に全力を尽くさねばならない。
それは殆ど成功していると判断しました。
もちろん宝塚の舞台は多少はあれ美を追求しているとは思いますが、この作品ほど徹底しているのも珍しい。
でもあのゴンドラはいただけないかなぁ…せっかくの哀愁が削がれる。蛇足としか思えない。
明日海りおさんはよく「入り口ジェンヌ」と称されます。宝塚初心者が観て宝塚ファンになるのに最適なスターさん。
ポーの明日海さんを観るとその意味がよく分かります。私が宝塚ファンになった小学生の頃に明日海さんの「ポーの一族」を観たら100%ファンになっていたと思います。
今でこそ望海風斗さんのファンですが、昔は明日海さんタイプのジェンヌさんが好みでしたし。
少年のようで時折見せる老練した表情、優しさと冷酷が共存する眼差し。指先にさえ漂う美と哀。そして愛。
明日海さんの演じるエドガーは美と同時に深い深い哀しみが胸に迫って来て、佇む姿だけで涙が出てくるようです。
周りの人々もまた美しい。ヴァンパネラも人間も、あの人もこの人も皆美しい。
「美し過ぎて怖いくらい」
誰かこんな台詞言ってましたよね? 本当に怖いくらいです。
この美を表現する為に花組の皆さんはものすごい努力をされたのだと思います。もちろん元々皆さん美しい方々ですが、素のままでは観客には届きません。美しい人が美しい役を「作って」こそ舞台で輝くのです。
明日海さんをはじめ「花組の一族」の皆様、「極上の美」をありがとうございました。
不二子