窓の外から猫の声🐈🐈🐈

2.5次元とか特撮とか。漫画や小説。平野良と望海風斗。

琥珀色の雨って染みになりそう

望海さんと真彩さんのプレお披露目全ツ公演として上演された「琥珀色の雨にぬれて」の話でもしましょう。ショーの方はまたいずれ。

初演は1984年。なんかもっと昔のような気がしていたけど、そうか…私が宝塚ファンになった頃に研5だった高汐巴さんのトップ時代の作品ですものね、こんなもんか……。まだ私も実家住まいだったわ。

再演を匠さん主演か春野さん主演かどうしても思い出せないんだけど、どっちかを観ているはず…初演をよく覚えているのに何故? 思い入れの違いでしょうか?

それ以降は雪組全ツまで劇場では観ておらず、久しぶりにクロードやシャロン、ルイに会ってとても懐かしい気持ちになりました。

全ツの感想でよく目にしたのが「古臭い」「クロードが優柔不断で腹が立つ」「フランソワーズがストーカー」などなど。

まあ古いと感じるのは初演が30年以上昔と考えたらしかたない気もします。私は感じないけど。私の中では初演の時代で時が止まっているから、今の自分ではなく初演時の自分に戻る感じです。故に古いとか感じない。時代ごと作品世界に引っ張られてます。

理解しようと自分の経験から近いものを探したら「霧深きエルベのほとり」が顔を出しました。順みつきさんのサヨナラ公演、順さん大好きだったけど「エルベ」は無理やわ〜と思いました。まさか来年星組さんで上演とはね。古さに関しては「琥珀」の比じゃないですが大丈夫でしょうか?


「琥珀」という作品を私は、“時代背景ごと楽しむ作品” と思っています。いや、時代背景を感じながら観ないと理解できないと言った方がいいかも。

1920年代のフランス。大戦後の退廃的で享楽的な空気、タンゴとむせ返えるような香水の薫り。

古色蒼然たる貴族社会と大戦以降の時代の波に乗ってきた新興勢力との、すれ違い様の泡沫の恋。

それが「琥珀色の雨にぬれて」という物語です。

青列車で行くニースも、琥珀色の雨が降るマジョレ湖も、その地の持つ独特の匂いを嗅ぎ取らなくては作品を楽しめない。

この作品の主役はクロードでもシャロンでもない、時代背景と土地の持つ空気感そのものこそが真の主役です。クロード達はその掌の上で転がされている人形に過ぎません。

もちろんキャラクターとしては初演のメンバーに当て書きしたものですから、再演以降それに合わない人がいるのはしかたない事です。一応録画やDVDで全部観ているはずですが、ある程度の贔屓目が入っているとしても初演以外でこの作品の特性を活かしていたのは雪組版だと思いました。

全ツで土地の空気感まで出すのはかなり無理があるのですが、望海さん真彩さん、それに彩凪さんは結構いいところまで上手く引き出していたと思いました。

望海さんは本来の真面目さと男役としての持ち味が綯い交ぜになってクロードを確かな存在にしていたし、真彩さんは彼女の人間性にも役者としての個性にも素にはない女性を正に「シャロンがシャロンという女を創り上げ生きてきた」ように舞台上で役を生きていた。

クロードには生真面目さも純粋さもあるけれど、貴族的な傲慢さも狡さも同時に持ち合わせている。シャロンは強く美しい鎧を自身であるが如く周囲を欺いているけれど、芯にあるものは奇しくもクロードが感じ取ったように誰よりもピュアでストイック。ただクロードが想像していた以上にシャロンは硬くて脆いダイヤモンドのような女だった。

ダイヤモンドは最も硬い物質だけれど、金槌で叩くと簡単に割れてしまうのです。シャロンはどんなに蔑まれても傷つかない(風を装っている)けれど、本気で打たれたら壊れてしまう、それを自分で分かっている賢い女。

シャロンというダイヤモンドを叩き割るのはフランソワーズではなくクロードです。フランソワーズは金槌かもしれないけど、その金槌を持つ手は無自覚とはいえクロードのものなのです。

だからシャロンはクロードから離れなければならなかった。

ルイとフランソワーズは相手をずっと見ていただけにある程度は理解しているものの、本質まで届く目(感性?)を持ってはいなかった。

彼ら4人は自分を守る為に、自分を傷つけていくのです。4人は金槌を持つ誰かから離れ、放射状に道を違えていく。

「悲しいけど、しかたのないこと」

せめて最後は美しく、マジョレ湖は彼らの為に琥珀色の雨を降らせるのです。


光の加減で琥珀色に見えるのでしょうけど、本当に琥珀色だったら傘さしていても着てる服に染みがついてしかたないよな〜と思わずにはいられない。マジョレ湖辺りのクリーニング屋さんは大繁盛だよ❗️

不二子

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