窓の外から猫の声🐈🐈🐈

2.5次元とか特撮とか。漫画や小説。平野良と望海風斗。

ファンになりし時

私は望海さんや真彩さんと同じくらいの年齢の頃に宝塚ファンになりました。実際に劇場に行くようになったのは少し後ですが。

母が独身時代に宝塚ファンだったこともあり(でも一番は生涯、美空ひばりさん)、寿美花代さんの話を聞いたり、マルサチオソノという呪文みたいな言葉を耳にしたりはしていました。

関西住みなので「ザ・タカラヅカ」など宝塚の番組をテレビでやっていたのを母が見ようとしたのを、当時ロボットアニメに夢中だった私が「宝塚なんか嫌やん」とチャンネルを変えて母を嘆かせた記憶もあります。

この辺は妹は記憶にないそうで、子供時代の1年2年の差は大きいなあ…と思います。

漫画の「ベルサイユのばら」が女子の間で流行った頃、宝塚を意識するようになりました。

月組での初演をテレビで観て、そこから宝塚への憧れが始まりました。しばらくテレビだけの世界でしたが、たまたま星組「ベルサイユのばらⅢ」公演中に小学校の創立記念日が重なり、平日なら観られるかも?と、当日券に並びました。立ち見でしたが、初めて生で観る華やかな舞台に私も妹たちも夢中に。

何度か母が前売りに並んでくれて、「星影の人」など前から7列目センターで観られた幸せ。

「ノバ・ボサ・ノバ」にハマりまくり、毎週のように当日券並び。午前の部を立ち見、午後の部を3階席という観劇を続けていました。

今の私には信じられない体力。小学生のパワーってすごい。我ながら不思議。

ファミリーランドの入園料を除けば3階席700円立ち見500円。それでも姉妹3人毎週行くには結構な散財ですね。交通費もかかるし。お小遣いはもらわないようになりました。ひたすら宝塚を観たかった。


でもね…今思うと、私は宝塚に早く出会い過ぎたようです。

子供らしく「自分も宝塚に入りたい」とか思いましたよ。いろんな意味でそれは不可能なのだという現実に直面するのは辛かったです。

受験不可な年齢で出会っていれば、そんな苦しみはなかったのになあ。

私はスターさんというより脇のおじいさんやおばあさんを演る生徒さんに憧れました。ファンになるのと自分がなりたいはまた別なのですね。

それでも宝塚は遠かった。手の届く世界ではなかった。

図々しいと笑われるでしょうが、子供ですもの。夢は見ますよ。

今まで他人に言ったことはなかったのですが、一度だけ受験したことがあるのですよ。記念受験ってやつです。

周りを見渡して「受かる人というのはこういう人達なんやな…」とヒシヒシと思い知らされて、合否の発表すら見に行きませんでした。

その時にいろいろお世話してくださった本科生の中で、私が「おっ」と思った三名の方が将来トップになるとはつゆ知らず。

まあ現実を知るには良い経験だったかもしれませんね。確かに記念にはなったし(笑)。


私とは逆な人もいました。上京してからの知人で、すっごく綺麗な子がいたのですよ。劇場に行くと必ずジェンヌさんと間違われる子が。

そして本人も「受験できる年齢のうちに宝塚を知りたかった…」と言っていました。彼女ならレッスンはそこそこでも容姿で入れたんじゃないかなあ。

今で言うと星組の星蘭ひとみさんをもう少しスッキリさせた感じ。雰囲気も華やかな子でした。バレエは習っていたそうです。もし入っていたら娘役さんかな?

ファンになるのが遅くて受験できなかった分、ファンとして観劇しまくる!と、とても熱心に劇場に通い、そしてジェンヌさんに間違われる日々を送っているようでした。

それもね〜、またちょっと辛いんじゃないかなあ。どれだけ間違われようと彼女はジェンヌではなくファンでしかないのですから。

私と入れ替われたら良かったのにね。彼女が小学生からファンだったら、きっと受験してたぶん合格したんじゃないかしら。


私がファンだった時代はまだ演出部は女性不可だったので、演出家になるという選択肢もなかったし、衣裳部さんは手先が不器用な私には無理。

結局ファンである以外の道はなかったんだなあ。

その後は宝塚以外のものに夢中になったりして現在に至るわけです。宝塚以外の世界もめちゃくちゃ楽しかった。存分に人生を楽しんできたと思います私。

やりたいことには片っ端からチャレンジしたし、失敗しても挑戦しないよりはマシだしね。

この年になってもまだまだ新しいことにはチャレンジ出来ますから。飽くなきチャレンジ・スピリット!…なんか戦隊の名乗りみたいな(笑)。挑戦戦隊チャレンジャー・チャレングリーン!(望海さんファンだから一応グリーン)

挑戦する女S・不二子

×

非ログインユーザーとして返信する