窓の外から猫の声🐈🐈🐈

2.5次元とか特撮とか。漫画や小説。平野良と望海風斗。

八百屋舞台

八百屋さん自体が激減している現代で、更に消滅しかねない未来で、「八百屋舞台」の意味が字面で分かるものなのでしょうか?

少なくとも私の住む町には既に八百屋さんは存在していません。下手したら八百屋舞台どころか八百屋そのものが死語になるのかもしれないですね。

観劇を趣味とする人種に八百屋舞台を知らない人がいるとは思いませんが…いや、いるのか? いるかも…、あまり見かけなくなったのも事実。

私が直近で観たのは馬場良馬くんが出演した「モブサイコ100」という2.5次元舞台です。馬場くんアルマーニのスーツ着てて、胡散臭かった(笑)。

宝塚ファンなら「ノバ・ボサ・ノバ」が一番有名かな? 私が先日ブログに書いた「遥かなる旅路の果てに」も八百屋舞台を使っています。

この「八百屋舞台」というもの、好きかと問われると…ちょっと複雑。まず出演者の足腰に負担が大きい。宝塚大劇場なら盆やセリを使えなくなる。

盆もセリもない劇場なら効果もあるでしょうが、宝塚大劇場ではねえ…。

と言って嫌いかというとそれもまた違うのが、我が心ながら奇怪極まりない。


「ノバ・ボサ・ノバ」は私が初めて心を奪われたショーなのです。それまではショーの楽しみ方が分からず、なんとな〜く観ていました。ボンヤリした子供だったんですよ我ながら。

幕開けからなんだかワクワクして、ソール(安奈淳さん)やオーロ(みさとけいさん)、ルーア神父(松あきらさん)とシスター・マーマ(麻月鞠緒さん)、マール(室町あかねさん)とブリーザ(宝純子さん)、エストレーラ(祐樹叶さん)とメール夫人(明日香みやこさん)たちが歌いながら通り過ぎていくのが、それだけで既にかっこよくて楽しくて。

テンション上がりっぱなしとはあの事。皆んな歌上手いしダンス上手いしパワーに満ち溢れて。一気にショーというモノを理解したと思います。

ストーリーはありますけど、「ノバ・ボサ・ノバ」はやっぱり素晴らしいショー。私を更なる未知の世界に連れて行ってくれた作品。

当時の歌劇とか読むと「裸足で厳しい稽古やって足の裏の皮がズル剥け」だったそうで。それをテーピングして痛みにめげずに稽古したそうです。当時ちょっとビビった覚えがあります。

後に真琴つばささんの主演で観ましたが…なんだろう……違う作品だった。私と同い年で安奈淳さんの「ノバ」を観た友人と、

「これはノバではない」

と、嘆き合いました。別の初見の友人に「これが名作なの?」と腐されて余計に腹が立ってしかたなかったです。

別に真琴さんが悪いわけではないんです。歌唱力は確かに随分と落ちるとは思いましたが、それだけが原因でもないような…。

演出かなあ?

でも安奈さんバージョンも鴨川先生は病院のベッドの上、実際には演出していないはず。あ、でも演出プランは鴨川先生のままか。じゃあやっぱり演出のせいかしら? 草野先生でしたよね確か。

多分なんですけど、曲と曲の間のコンマ数秒で全く変わるんだと思うのですよ。ショーは特に。暗転になるタイミングとかも一瞬の差が効果を変える。

そういうのって理屈じゃない。その差を見極めるセンスこそが才能なのではないか…と思います。鴨川先生にはその才能が有った。「鬼才」と呼ばれた方ですものね。芸術の世界は才能の有無がかなりの部分を占めます。残酷な世界です。でもそれが真理。

努力を軽んじているわけじゃありません。努力は必要です。才能という芽も水をやらねば枯れます。

だから宝塚の生徒さんは辛く厳しいレッスンを繰り返す。花が開くと信じて。


ところで私は柚希礼音さんの「ノバ」を拝見してないのですが、どんな感じだったのでしょうか?

観た方、どなたか教えてくださると嬉しいです。

皆さん足の裏の皮剥けたのかなあ?


不二子

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